ヨガとは・・・
聖者パタンジャリが編成したといわれる、ヨガの経典・ヨガスートラの1章2詩・一番最初に書かれていること
『ヨーガハ・チッタ・ブルッティ・ニローダハ』
ヨガとは、こころの動きを収めることである
日々、私たちは色々な出来事に出会います。いいこともあれば、理不尽な嫌なことも。
その時に、自分の心がどう反応しているのか?見つめ、それに振り回されない自分を保つことが、大切です。
納得がいかない出来事
最近、ちょっと納得がいかないことがあり、いらいらしていました。
車を運転していて、警察に捕まったんです。
こんなところで??というようなところで笑
現場は普段はT字路の一時停止の場所でしたが、工事中で左側は通行止め。
車が来ないと思うが、念のため減速して、右折したところ、『一時停止しなかった』と
車来ないか確認したし、確かに一時停止線はあるけど、ここで警察がいる理由ある?
もっと、ほかに危険な運転車両・危険個所あるでしょうよ・・・
実は、この一か月前にも、スマホを見ていたために、切符を切られていて、
その時は、事故を未然に防いだかもしれない、気を付けようと反省したばかりだったのに。。。
立ち向かえば立ち向かうほど
考えれば考えるほどに、納得がいかないことに立ち向かえば向かうほどに、
怒りが沸き上がったり、悲しくなったり、無力感がでてきたり。
『こころをおさめる』とは程遠い気持ちでいっぱいになってしまいました。
もっと大切なことを考えるべきなのに。。
言うは易し、行うは難し
しかし、ぐるぐるしていた考えも、長くは続かないみたいです
もういいじゃん、って。なった瞬間が。いい加減、飽きたんです。
過ぎたことに、エネルギーを費やしすぎてしまった。もっと生産的なことにエネルギーを使おう、と。
受け入れる
たとえ起きたことは腹だたしく、許せないことでも、これは意味がある。
『私自身のため』にこの出来事を学びとし、手放そう。
そう思えた時に、すっと心が軽くなりました。
清濁併せ呑む、という感じでしょうか。
良いことと悪いこと、よい人悪い人、綺麗なもの汚いものを、あるがままに受け入れること
誰かの反応・言ったことではなく、私の反応、言ったことに気を付ける。
『許せない』『おかしい』と、反応している自分を自覚し、受け入れる。
ただただ、動き回る心の動きを、みつめる。
それは、ヨガの学びでした。
腑に落ちる
ヨガ・スートラでは、心は動き回るもので、本当の自分ではない。心の動きを見ている存在が自分である、
とも書かれています。
自分の主観や想像で、不安になったり、怒ったり、逆に有頂天になったりと、そもそも心は動いて変わるものなのです。
例えるなら、空。
動かず変化しない空が自分。心の動きは空に浮かぶ雲のようなのです。
そのようなことを身をもって学ぶのが、この出来事だったのでしょう。
実は、ヨガ・スートラは読んでいるものの、なかなか先に進めなかった。
頭では理解したつもり、だったなあと。
ポーズを深めることだけが、ヨガではないんです。
それを通して、いかに生きるか?を自分の実践・体験を通して学ぶのがヨガなのです。
この出来事をきっかけに、ヨガの学びをさらに深めて、日常に生かしていこうと思います。
アッビャーサ、です。
岐阜でヨガクラスを担当してます。
岐阜市のホットヨガクラス、各務原の総合格闘技ジムさんでのヨガクラス、開催しています。